生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

この世界は生きづらい。それでも死ねないのならば生きる覚悟を固めなければならない

 耳を刺す雑音、皮膚を千切る冷たい空気、鼻をつく異臭、雑菌、汚れ、人と人の間で繰り広げられる茶番劇。それら全てが嫌で、生きづらい。

 

 感覚器をいたずらに刺激してくるそれらから逃げ出すために、私はひとりでも完結させられる物を以前にもまして好くようになった。

 映画館で観る映画は、大音量で無駄な音を吹き飛ばしてくれるから、好き。映画の途中で話しかけてくる人間は───それがたとえ予告編の最中であったとしても───好きじゃない。

 自分以外の音をなるべくシャットアウトしてから読む本は、私に向けて多くのことを教えてくれるから好き。そのために書店や古本まつりで宝探しをするのも好き。

 文房具を探すのも好きになった。質のいいペン、生きづらさを緩和してくれるガジェット……周りの音がうるさくとも、やはり現物を見て選ぶ方が好き。

 

 だけど、こういうひとりでも出来るようなことを友人と楽しめるならば、それはとても楽しいことなんだろうな、とも思う。

 昔、知人に

「もし恋人とデートをするならどこに行きたい?」と聞かれたことを思い出した。

「古本まつり」と答えたら、

「つまらないな」と返された。

やはりそれは、ひとりで行くべき場所なのだろうか、自分は間違っているのだろうか、と、思い悩んだ。

 私はやはり、人とはズレているのだろうと思う。それを否定出来る程、私は自分に自信がある訳でもない。

 それでも、だ。私は、前述の事柄を、私と一緒に楽しんでくれる人がこの世界のどこかにいるはずだ、と思う。いや、もはやいてほしい、と世界に懇願したくなる。

 

 

 私はそういう人と出会えさえすれば、自分が好きなことをして楽しくなっても罪悪感を覚えなくて済む気がするのだ。

そうして、どこかにいる誰かを夢想することで、“死にたくても死ぬ勇気が出ない自分”から目を背けたいと、人生が生きるに値するものだと思いたいと、願うのだ。