生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

風に乗ってやってくる、春の気配。私はまだ生きている

 いつまで経っても遠退かない意識。耳元でシューシューと音を立てる血流。それでもまだ力が入る手。大地を踏みしめる足。

 また私が仕損じたということを理解するのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 いつだって、“何かをやり忘れた/どこかに忘れてきたような気持ち”の中にあった。何か、しなければならなかったはずのことをしていないような、周りが当然に通過している点を自分だけが通り損ねてしまったような、そんな劣等感に似た気持ちの中に。

 きっと、私は実際に何かをどこかに忘れてきたのだろう。もう回収しには戻れない時空に、思い出せないけど大事だったはずの何かを。

 

 もう取り戻せない、と分かっている。分かっているのに───いや、分かっているからこそ、か。分かっているからこそ、私はその“正体すらも忘れ去り、分からなくなった何か”を、それでも“確かにあったはずの何か”を、惜しんで心を痛めるのだ。

 

 折り畳み式の椅子に首を預け、空を仰ぎ、来るかどうかも分からない新入生を待った春。

むずむずと鼻をくすぐっていく空気。

風に乗ってきた桜の花びら。

だらける私の首に『新入生歓迎!』と書かれた看板をぶら下げてはにかむ、前日はじめてキスをした、男の子の顔。

 

 全てあったこと/あったはずのこと、だ。

私はきっと、桜が咲く季節がくる/鼻を春の予感がくすぐる度にそれを思い出すのだろう。もう取り戻せない、だけど大切な記憶として、私の脳味噌のシワに刻み込まれているのだろう。

実際私は今、花粉でぐずぐずとする鼻をかみながら、そのことを思い出して胸を痛めている。

 

 

 いつだってそうだった。だから、これからもそうなのだろう。

私は、また何かをやり忘れ/おいてきて、通過すべき点を見過ごして生きていくのだろう。

 忘れたという事実自体を、お馴染みの忘れっぽさで忘れられればいいのに、私の頭はそのことを忘れてはくれない。

そうして、後から思い出そうとして、肝心の“大切な何か”だけが思い出せなくて、何度も悲しみに暮れるのだろう。

 そのことだけは、何故だか確かに分かってしまうのだ。