生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

昼間から缶を開ける

 飲む理由/目的が変わり果ててしまった。

 

 

 用事がない時、近くのコンビニで酒とつまみを買って昼間からひとりで飲むようになった。

以前は人との親交を深める目的で嗜んでいたアルコールだったが、一緒に飲む人がひとりもいなくなった今、その理由/目的は変わった。

 

 嫌な現実から目を逸らし、頭に浮かんでくる暗い想像をぼやけさせるためにアルコールを使うようになった。堂々巡りする思考を強制的に停止させるためにアルコールで脳味噌にフィルターをかけるようになった。

 現実は、つらく悲しい。寒くて寂しい。生きるのをやめたくなる程に。

それでも実際にやめる勇気は湧かない。だから、脳味噌にアルコールをぶちまけるのだ。電気信号の伝達を阻害するのだ。

 

 何も上手くいかなくて、自分が何をしたいのかすら分からなくなって、現実を直視するのに大変な労力を要するようになった。

現実を直視できなくなって、概念的なことに目を向けるようになった。友達とは何なのか、愛とは何なのか、を考えるように。

 考えても考えても、私にはどちらも分からなかった。後者に至っては、愛について書かれた書籍を読んでも尚理解できなかった。

 愛とは理由なく注がれる物らしい。見返りなく注がれるべき物らしい。でも、そうであるならば、“愛を注ぐ相手を選ぶこと”自体が愛という概念に反するのではないかと思った。

だって、愛するのに理由があってはいけないのなら、見返りを求めてはいけないのなら、誰を愛しても同じでなければならないじゃないか。その愛は人間の手に負える物ではなく、神の領域に及ぶ物ではないだろうか、と。

 

 

 私たち人間は、小さい。社会という肉体の中で、一個の細胞としてしか在れない存在だ。神の如き利他的な愛を理解するには、あまりにちっぽけ。

 今の私たちに実現可能な愛とは、利己的な愛に過ぎないのではないだろうか。相手と一緒にいたいから愛する、という。

 私にはそんな愛を獲得できる気には到底なれず、またアルコールで頭をぼやけさせるのだ。