生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

友達と呼べた人のことについて、思い返すだけの余力が少し湧いてきた

 ようやく出来た友達だと思って、本来理解しておくべき“友達との距離感”を理解しないまま付き合って、結局駄目になった関係の話。

 

 

 メンヘラ.jpに逃避して、他人のキラキラした人生と自分のキラキラしていない現実との乖離からようやく目を背けることが出来てきた、と思う。そうしてようやく、冒頭のことについて感情的なことを極力排除して考える決心がついた。

 

 今でもそうだが、友達という関係性について理解できた試しがない。それでも、そんな自分であっても、この人は友達かもしれない、と考えることが出来るくらいの存在はいた。

過去形なのは、関係が断絶してしまって久しく、今となっては話しかけることすら不自然に感じられてしまう程であるからだ。

 一瞬だけでも友達かもしれないと思えた彼女のことについて、思い返してみようと思う。

 

 彼女とは、大学で出会った。

本来ならば出会うことすら出来なかったのではないか、と今では思うくらいに、私と彼女との間には、“頭の良さ”という観点において、非常に大きな格差があった。彼女はとても頭が良い人間で、思慮深かった。頭の悪い私とはまるっきり違う、そんな彼女に出会ったことが間違いだったのかもしれない。

今になって思い返してやっと、私と彼女との間に横たわっていた格差の存在に気付くことが出来ている。当時はそんなことを気にせず(気にならないように彼女が気を配っていたのかもしれないが)呑気に関わっていた。

 読む本や観るアニメ、好む曲等について、ここまで気が合う人間に出会ったことはない、と思った。好きなことについてここまで深く語れる存在は今まで見たことがない、とも。

 多分、私は彼女に依存していたのだと思う。関係が断絶した今になってもこうして未練がましく思い返している辺り、今でも未練たらたらなのかもしれない。

 まだ関係性が続いていた頃は、必ず月に1度、決まった場所に飲みに行っていた。そうして定期的に飲みに行っていたのは、彼女にとって自分が特別な存在であることを目に見える形で示したかったからだと思う。

今思えば、彼女を無理矢理付き合わせていただけだったのだろうが。私にとっての彼女が特別であったように、彼女にとっての私も同様に特別であってほしい、と願っていた。“友達”を神聖視するが故に、その関係性の正しい扱い方が分かっていなかったのだと思う。

 

 ある時、身体に障害を抱えたり何だりして、今なお続く憂鬱症を拗らせたことがある。まだ彼女と交流があった頃だ。

彼女は私に構わず───彼女にはそうする自由があるから当然のことだったが、私は勝手に傷付いていた───Twitterに向かって趣味を楽しんでいるツイートを投げかけ続けていた。ちょうどその頃私の心の調子がよくなかったこともあり、空リプ(空中リプライ)で彼女に八つ当たりするようになっていた。それに嫌気が差した彼女は私をミュートし、ミュートされたことを察した私もまた、彼女のことをミュートした。

 

 時間が経って、自分勝手なことだが、彼女との関係を取り戻したくなった。自分の犯した失態を謝罪して、やり直したくなった。本当に自分勝手な話だ。

 何カ月か振りに彼女にコンタクトを試みた。Twitterでは他の人に見られるから、と、紙の手紙を送った。この時代にありがたいことに、彼女もまた紙の手紙で返事をしてくれた。だけどそこに書いてあったことは大変に衝撃的な内容で、詳細を思い出せなくなった今になっても尚、その手紙が自分の精神を削る、ということだけは心に刻み込まれている。だから私は、それを一度読んだだけで二度と読み返すことはなかった。

 内容としては、“普通の人は普通に「悪いことだと理解していること」を意図的にやっているものだと私が誤解し、自分も同様に意図的にやった、ということに対する非難(もっともな意見だと思う)”が主だった。

返事を読み返した私は、恐る恐る慣れないLINEを使って彼女にメッセージを送った。幸いなことに、LINEをブロックされてはいなかったようで、常識的な時間の後に返信が返ってきた。

 こちらの内容としては、手紙よりももっと直截的に私を糾弾するものだったと思う───思う、としたのは、このLINEもまた見返す勇気が湧かない内容だったからである。

彼女は私と関係を続ける気はないこと、謝っても許す気はないことを私に告げた。至極真っ当な意見だと思うが、その二点を告げられた私は大変に衝撃を受けた。関係の修復を懇願した。

「分かりました、それではお互いにTwitterのフォロー・フォロワー関係を始め直すところから始めましょう」という彼女の他人行儀な言葉と共に、Twitter上での、形式的な関係が始まった。TLを追う気力がなくなり、まともに呟かなくなった今となっては、本当にデータ上のみの、形式的な関係性に過ぎなくなった。彼女が社会に出た時に、この関係は完全に切れるのだと思う。

 彼女と最後に会ったのがいつのことかすらももう思い出せないが、この先会うことがないという予感だけは微かにある。

私は誰かを誘う時に彼女を───昔そうしたように───誘う勇気はもう有していないし、彼女は私を“何かに誘うだけの価値がある人間”だとは見なしていないだろうと思う。何なら、存在を忘れられているかもしれない、とすら思っているくらいだ。

 

 

 私はやはりきっと、未だに彼女に執着している。人生ではじめて、唯一友達かもしれないと思わせてくれた彼女に。

 この記事が、その証拠だと思う。我ながらなんて未練がましいのだろう、と、書きながら思った程だ。

 

 

 

追記(16:51):メンがヘラった相談を彼女にしていたら、「そんな重い話を続けるなら関わりたくないです」と言われたことを思い出した。友達との距離感が分からない。