生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

5月10日(金)

 ド鬱の最中にある。

 

 数年ぶりに真面目に生きてるが、虚しい。多分、理由としては努力の変換効率が信じられないくらいに低下したことにあると思う。努力が報われないのだ。

 行きたいところ/観たい映画/やりたいことがあっても、出来なくなった。身体と頭が重く、だるく、常に二日酔いのような体調。出掛けるのに必要な金を稼ぎたくても働ける場所すらない。そもそも人と出掛けることなど一切ないため、出掛けなくて困るのは自分だけ。じゃあ出掛けなくていいか、となって、また出掛けられなかった、と、自己嫌悪に陥るのだ。公開・開催時期が限られているものに行けないまま時期が終わってしまうと、かなり落ち込む。行けなかった/行かなかったのは他ならぬ自分自身な癖に、落ち込むのだ。

 

 いつからか───多分倒れてからだとは思うが───私はそんな毎日を送るようになった。生きるだけで気分がどんどん落ち込んでいくようになり、寝転んでいると勝手に目から水分が出て行くようになった。

 こんなに辛いならさっさと死んでしまえばいいのに、と、何度も自殺を試みた。首吊りは駄目で、飛び込みも迫ってくる電車の頭に圧倒されて出来なくて、飛び降りは立ち入りが制限されている屋上が多くて出来なかった。ODする程の薬のストックもなく(多分医者がOD防止のために処方量を制限している)、毎日泣きながら生きることしか出来ない。

 私が生きているより、死んだ方が喜ぶ人間が多い気がする。というか前者はひとりもいないと思う。

 午前三時頃に目を覚ます度に、まだ死ねていない自分に嫌悪する。眠くても寝直せないために、時間になるまで思考の渦の中で耐えるしかない。

 

 何で自分はこんなにも無価値でつまらない人間なのだろうと考える。涙が溢れて止まらなくなる。この先生きることを考えられなくて、生きるための行動が出来ないでいる。生きるためにやらなければならないことを出来る気がしなくて、死ぬことしか考えられなくなる。

 

 推しに会った後、生きたいと思うのは、幻想だ。一時的に生きたさが0から1以上になることからくる、バグだ。その幻から覚めて、現実に向き合うと、その“生きたさ”は生きるのに必要な努力や鬱によって塗りつぶされてしまう。躁の後に鬱にたたき落とされるような感覚で、いつもよりもひどい鬱に襲われる。

 

 Twitterの使い方が変わった。知人のツイートを直視出来なくなり、知人のツイートから目を逸らしてツイートするようになった。知人が私のことなんか全く見ていない/認識していないということを分かりたくないから、それを分かっていながら分からないふりをして呟くのだ。

 

 

 吐きそうで吐けない気持ち悪さ。眩暈。頭痛に眼痛。生きているのがただただしんどい。