生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

思考の氾濫

 分かる。自分の脳味噌では必要な思考に辿り着けないということを。能力が不足しているということを。

分かった。今までの人生は、その不足によりうまくいかなかったということが。

 

 

 現実の私を知る人には信じられないことかもしれないけれど、これでも私は常に最善を尽くしてきたつもりではあるのだ。いや、自信を持って言える、私はその瞬間の私の出来る範囲に置いて、最善の選択をし続けてきた、と。

 だから、現状以下のifはあっても、現状以上の可能性はない。この現状が、今の私が選べる中で最も良い結末だった。失敗も成功(そんなものはなかったが)も、すべて起こるべくして起こったものだ。

 最善よりも善いものはない。最善を尽くしてきた私には、“これ以上”なんてどこにもなかった。

 

 私に何が起きたか?私が何をしたか?

曖昧なままにしてきた現実が明確になった/現実を他ならぬ私が明確にした。

 私は曖昧だった“どこかに救いがあるかもしれない”を、“どこにも救いなんてない”と認識し直してしまった。0じゃないかもしれない、を、間違いなく0だ、と定義付けてしまった。

 

 隔絶があった。細い綱の上を渡るような不安定さを孕みながらも、それは間違いなく“隔絶”であった。それでも、断絶ではなかった。少なくとも、私の中では。

 終わりから目を逸らし、先延ばしにし続けた。結果、続いているかは分からないけれど、終わってはいないだろう、という思考が生まれた。そこに救われていた。どんな精神安定剤よりも救われていたのだ、と今なら分かる。

 だけど、状況が明確になった瞬間、意識的に目を逸らしてきた疑問が湧き上がってきた。「私は、社交辞令を抜きに誰かから『関わりたい』と思ってもらえる程の人間なのか?」と。

その疑問が湧き上がってきた途端に、処方されたセルトラリンの用量では抑えきれない程の鬱に襲われた。久し振りに悲しくて泣いた。全身に張っていた何かの糸が一斉に切れたかのように、全身から力が抜けて、ただ立っているだけのことも出来なくなった。しばらく立ち上がれずに、地面に座り込んでいた。

 私は無価値で無能でつまらない人間なのだという結論に至った。数えていないから何回目なのかも分からないけど、また至った。気が付かない振りをしてようやく生きていられるものを、意識して忘れようとしてきたけれど、今回とうとう限界が来てしまった。

 

 これもまた何度目か分からなくなってきた、「あ、死のう」がポップアップしてきた。家族以外の他人に迷惑をかけることはしたくないから、入っている予定を全部終わらせたら。

この思考プロセスも何度目か分からない。既視感はある。私は同じ思考を何度も懲りずに繰り返す。

 今が最善で、最適だから、私が今以上の幸せを得ることは出来ない。これ以上の努力は私には無理だ。ならさ、もう死ぬしかないじゃん、と。

 息をするだけで疲れるのに、その上社会をやらないといけないなんて、私みたいな非定型には無理。

 

 そう考えると、本当のきっかけはもう少し前にあったのだと思う。

 目が覚めたら知らない場所にいて、すべての服を脱がされていて、友達だと思っていた人間が全裸でこちらを見下ろして笑っていた時。

あぁ、何も分からんわ、私には理解できん、やってられん、となった。定型の人の真似をして、定型の人っぽく生きてきたつもりだったけど、やっぱり自分はどうしようもなく非定型の出来損ないなのだ、とその瞬間に理解できてしまった。“理解できないこと”を理解した。

 

 分からん、何も分からん。自分が一番好きな友達は自分のことを嫌っているだろう、ということしか分からん。

 全身が痛む。痺れる。疲れがとれない。頭が回らない。内臓の調子が悪い。声が出せない。

 友達といる時に、家族から鬼のように電話がかかってきた恐怖を思い出す。メールでいい用事なのに、そんなに電話を鳴らす神経が理解できず、電話を切り続けた時の恐怖を。知人から「よく友達と楽しく電話をしている」という話を聞く一方で、自分は口を利きたくもない相手からの電話に対応しなきゃいけない理不尽さ。

私は、自分自身が相手にとって「口を利きたい相手か、口を利きたくもない相手か」で分類すると後者である自覚がある。だから誰にも電話していないのに、身内はどうしてそんなことも考慮せずに電話出来るのだろう。やっぱり定型は分からん。

 

 

 何も分からん。手が痺れていることだけが分かる。