生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

共感も過ぎると、他人の他人事を無視しきれなくなる

 “可哀想”に耐えられない。

 

 父親は可哀想な人間だと思う。

嫁に浮気され、子供は障害者の金食い虫。

白髪がなくて艶々だった髪の毛は、会う度に白髪に侵食されている。白髪染めを使うことすらしない。

私にかかるお金を確保する為なのか、自分にあまりお金を使わなくなった。

彼なりにこだわっていて、試行錯誤して作る度に感想を聞いてきたカレー作り。私が一人暮らしを始めるより少し前から作らなくなった。カレーを食べたい時はレトルトを買ってくるようになった。

長年乗ってきた車の窓が閉まらなくなったり天井が錆びてきたりして、「買い換えたい」と言いつつも買い換えようとしない。

目に見えて我慢をしている。それなのに、私に対しては金銭のことで鬱病になる必要はない、気にしなくていい、と言う。明るく振る舞っているのが余計に痛々しくて観ていられない。

その上、(私も人のことは言えないが)父親はあまり物を知らない。自分が物を知らないということにも気が付いていないのか、度々私の知らないことを聞いてきては

「お前は物を知らない子だねぇ」と煽ってくる。言い返しても面倒くさいことは分かっているので、言い返さないでいたら、ますますエスカレートしてしまった。

その結果、彼は“歳を食ってプライドが肥大化した、無知を自覚していない無知”になってしまった。彼に会う度に、もういい歳なのに残業を積極的にするような働き方で働きながら痛々しい程の節約をする姿が可哀想になり、肥大化したプライドと無知に共感性羞恥を感じ、一人暮らしの家に帰ってから堪えきれずに泣くようになった。

 私には、自分から遠いところにある鬱シナリオには耐性があるものの、自分から近いところにあって、心情を推し量れてしまうような鬱シナリオには耐性がないらしい。

 そして、彼を救える立場なのは多分自分だけなのだ、という事実が余計に私に迫ってくる。私が救わなければ彼が救われることはない、という状況が私に涙を流させる。

 だって、今の私に彼を救いきれる程の能力も余力もない。彼自身がどんなに努力しようとも、私がいる限り、彼は救われない。私にはその“可哀想”を抱える体力がない。

 

 父親の前では絶対に泣くまい、と決めていたのに、今回、彼が自身の無知により失態を犯した/普段なら絶対にしない謝罪をしてきた時、彼の限界を感じ取ってしまい、涙を流してしまった。堪えても堪えても止められない程涙が流れた。

それを見た彼がどう思うだろうということまで考えたら、更に可哀想に思って、悲しくなって涙を流した。

 だから今回、涙を流しながら彼と別れた。電車の中でも泣いていたし、一人暮らしの家に帰ってから今も尚泣いている。

 身近な“可哀想”への耐性がない自分に呆れる。

 

 どうあっても私は救われない。色んな障害が私を“救いがたきもの”に固定しているからだ。それについてはなんとなく諦めがつき始めた。20年以上も経てば、流石に。

 だけど、父親には救われてほしいと思う。自分勝手は自覚しているけれど。

 ある日突然、莫大なリソースを有する人間が気紛れに、私の父親を救ってくれでもしないと叶わない願いなのも分かっているけれど、それでも。彼には私自身の精神の健康のためにも、救われてほしいと思うのだ。

 

 

 ふんわりとした信仰しか持っていない自分ではあるけれど、どこかにいるかもしれない(どこかにいたらいいなと思う)上位存在に、そう祈らずにはいられない。