生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

笑うしかないから笑っているみたいな見方もある

 前の話の続きかもしれないし、じゃないかもしれない。

 

 今のような生活をしていると、あんまり平日も休日も区別できなくなってくる。平日に通い、土日に休むような生活であることには変わりないけれど、気分的な問題で区別できなくなる。

 毎日に対したイベントもなく、起きて言われたことを頭に叩き込んで寝る生活。前にも同じようなことを書いたかもしれないけど、それもやっぱり忘れている。疲労はもはやストレッチだの何だのや、栄養剤などでは消化しきれない程に溜まり、頭は常にフラフラして、目も霞んでいる。

 とまぁ、これはいつもと変わらない現況報告。

 

 

 本題と呼ぶ程でもない本題。前回に絡めるならば、父親の話から入った方がいいだろう。

ずっと彼と関わってきて、彼を視界に入れてきて、思った。(彼は私以外の誰から必要とされているのだろう)(もし私が必要としなければ、誰も彼を必要としないのではないか)と。

少なくとも、少々込み入った親戚関係と、ご近所付き合いの中に彼を必要としている人間はいないように見える。やっぱりそれも、可哀想だなぁ、に繋がってしまうのだが。

 

 一方私も私で、私自身を誰かから必要とされている感覚はない。前述の父親も義務として私を養っているように見える。その他の親類だって“私が今いる立場”からの好感度を稼ぎたくて一方的いらん物を送りつけてくるようにしか思えない。

繰り返しになるけれど、私が友達だと思っている人たちと対等でいられた試しはなく、これもやっぱり必要とされている感覚はない。

 私は拗らせた人間だから、必要とされるために(今から振り返れば過剰に)献身的な行為をし続けてきたなぁ、と思うし、今だって気を抜くとそういう行動をとってしまう自分がいる。

だって、素の、何も成さない/生産しない私には、誰かから必要とされるだけの価値がないからだ。誰だって、慈善事業でもない限り、定価以上の余計な支払いなんてしたくないに決まっている。

私という価値ゼロの原材料に10を払ってもらうためには、10の付加価値を付与する必要がある。その付加価値とは、私にとって献身的行動であったに過ぎない。

 

 いつの間にか、というかまさについさっき、口座の残高を確認したら、笑っちゃうくらいにお金がなくなっていた。誰かに抜かれたんじゃないかと疑っちゃうくらいに感触もなくお金が消えていた。ATMで引き出せる最低額すら下回っていることに気が付いた時は流石に声を出して笑ってしまった。笑い事ではないけど。

 私自身の価値が全くない、ということを自分の口座に突きつけられたような感覚。お前の価値はATMで引き出せる額すらない、と言われているような。だから余計にウケてしまった。

 あぁ、分かってる分かってる、早く死なんといけんよな、今入ってる予定こなしたら頑張るからちょっと待っててくれよな、と。

 死ぬ死ぬ詐欺じゃねぇか、という声が聞こえてくる。自分の内側からだと思うけど、もしかしたら自分の外側で誰かが言っているのかもしれない。私には分からない。

さっさと死ねよ、とも聞こえてくる。これもどこからなのか分からない。いや、死ぬよ、死ぬんだよ、と、これは間違いなく自分が答える。

そう、だけど今まで1度だって、本当に死ねた試しがない。実際に実行してはいるのだ。何回も。毎回死ねないだけで。

 

 

 自分には価値がなくて、誰か───自分を含めた───に必要とされることがないのだ、という感覚が常に私を付きまとっている。今日印字した口座残高は、私に価値がないことの裏付けになっている気がしてならなかった。