生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

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 やるべきことを出来ないから、時間だけはある。まとまりのないことを考える時間が。

 

 何回目かも分からない気付き。今の私は新鮮に考え付いたように感じているけれど、もしかしたら以前思い付いたことを忘れているだけかもしれない。

 

 あ、と。

クリア後のデータを使うと、クリア後の世界を生きられたり、バフがかかった状態で二週目(以降)を生きられたりする。

今のこの人生は、クリア後の二週目(以降)とはとても考えられない。バフどころかデバフがモリモリかけられている。

多分これは、前者なのだと思う。正確には、クリア後、じゃなくて、“バッドエンド後”の世界だけど。

 この人生は、一度終わっている。

 

 出口のない、誰にも観測されていない犬空間に閉じ込められているかのような。

何をしてもしなくても、結果は既に確定していて。もう何かをどうこうする/できるフェーズはとっくの昔に終わっていることの、アナウンスすら私にはなかった。

死んだことに気が付かないまま現世を彷徨う亡霊のように、私は人生の行き止まりにぶつかったことに気が付かないまま惰性で生きていたらしい。

 

 全ての分岐で間違えた私に、もうろくな選択肢は残ってなくて、どれを選んでも/選ばなくてもつらいだけ。

最近、気を抜くとすぐに、少しだけつんとした刺激の後に、視界の隅からこんこんと水が湧いてくる。そうして視界がふやけてから、ああ、私は今悲しいんだな、と感情と理解が追い付いてくる。

 

 知己に会うと、知己と関わるだけの価値のない自分を知覚して、別れた後に思考が弾けて溢れる。自分のつまらなさに、嫌気が差す。躁から鬱へ、流れる思考は滝壺に落ちきって、飛沫と共に悲鳴をあげる。

 

 ああそっか、忘れていた。私は随分前から死ぬと決めていたのだ。多分今の所持金なら縄くらいなら買えるだろう。

 楽しいは躁になり、楽しくないが鬱になる。生きているだけで躁と鬱に振り回されて、疲れるのにすら飽きてきた。

 

 生きている意味なんて誰にもなくて、自分で勝手に定義するしかないのだけれど、私は定義すること自体に疲れてしまった。

定義する度にひっくり返されて、その都度自分の無価値が証明されたような気になった。これ以上はないくらいに証明され尽くした自分の無価値が、伏線になって今の私を裏付けている。無価値が私で、私は無価値。

 

 考えすぎだ、お前は頑張っていない癖にさも頑張っているかのように思い悩んでいる、鬱は治るし発達障害だって気のせいだ、お前よりも物忘れが酷い人なんて何人もいるし麻痺だってその内治るだろう。

 これを全部面と向かって言われたことを思い出して、頭の中に(一生治らないし、どうにもならないよ)という、言えなかった反論が浮かんできて、届くべき所に届かずに、弾けて消えた。

 

 治るだなんて到底思えない自分の方がおかしい人間で、不正解で、不出来なのだろうか。

 何も分からないけど、唯一分かることは、私には自分を偽らずに生きることで生み出せる利益は少しもなくて、しんどいくらいに偽らない限りプラスを生み出せないことだけだ。

 

 何回目だろう。何回、「何回目だろう」と考えただろう。明後日で区切りがつく。半年が終わる。

昼夜問わず発症する過呼吸/湧いてくる涙が、私の生を否定し続ける。

 

 大丈夫な訳がない自分だけが、ここにある。