生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

この先生きるためにやらなければならないことを放棄した今、緩やかな死を感じている

 意識すると、モノローグに占める「違うんです」の割合が大きいことに気が付いた。

 

 将来を考える時期にある。ちょっと、というかだいぶ遅いけど、まあぼちぼち考え始めている。

 今の自分から想像できる将来。何も希望がなくて、やっぱり死んだ方がいいじゃないかと思った。やりたいことだって、生きてまでやりたいことではない。

手足も脳も治らない。それは確定。それに加えて、私には、精神的な欠陥が多い。そのせいで友達なんてひとりもいない。

 知人はいても、友達はいない。これは、自分からして友達だと思ってても相手からは云々……、みたいな話ではなく、自分を友達だと思う人間なんていないと(保険ではなく)“知っている”から、断言できる。

 だって、私はそこそこクソみたいな人間だからだ。無能で、無価値だからだ。

試し行為?何度もした、怖かったからって言い訳が通用しない程度にはした。初めて出来た友達に舞い上がって───数年かけて試し行為をして。相手は私と違ってまともな人間だったから、逃げた。

 

 さあここで出る。「違うんだよ」が。

何が?試し行為は本意ではなかった?お前はいつもそうだ。責任から逃れたくて、「それは違うんだ、そうじゃないんだ」とピーピー喚きやがる。

 努力が報われないことに嫌気が差して、周りの人間がズルして一足飛びにクリアしていくように見えた。それで、じゃあ私もズルしていいんだ(その権利があるんだ)なんて解釈してしまった時点で、情状酌量の余地はなくなった。

 やり直せない。20年以上かけて、間違いを積み上げてきた自覚があるから分かる。これが土台にある限り、またさらに20年かけたってこの精神病は治らないことが。取り返しのつかないことが。

 その上、その上。私にはもう、努力する気はない。自分に負担のかかる/労力のいる何かをする気はこれっぽっちもないのだ。

 何のために頑張ってきたのか、頑張って死なないようにしてきたのか。それらに意味はないと知った。

例。私は数年前に一度、数年で解ける魔法を自分にかけた。そろそろ解ける頃だと思う。私は両の瞼に注射を打って、糸で縫い合わせて、コンプレックスのひとつだった一重を二重にした。貧乏人の自分にとって今でも大金と思えるだけの額を支払って、二重にした。だけどそれで得た物は何もなかった。

今気付く。私は別に自分の顔に期待したことなんて一度もなくて、少々目が大きくなろうがどうでもよかった、ということに。

 高校時代までに出会ってきた、外見を罵倒してくる仮想敵を見返してやりたかったのだと思う。今思えば、目が大きくなっても私は可愛くなんかなれてないし、何よりその仮想敵たちに会うことすらなかったけれど。

無駄なことをしたな、と思う。とっくにいなくなった見えない敵にリソースを奪われ続けただけだった。

 残ったのは、二重になろうが大して変わらない、不細工な顔と、不細工な性格と、残高800円の通帳だけ。

 

 こうやって私は無意味なことをしてきた。無駄な努力をしてきた。そういう20年だったから、この先脳味噌を物理的に移植しない限りは変われないとも理解している。

 努力は報われないのが当たり前。今から想像できる将来はろくでもないことだって分かっている。ああ、死のう。ほらほら頑張って。

 今ただ生きているだけでも、友達が出来る訳のない自分を自覚するとしんどい。

人と接する時で躁じゃなかったためしがないし、いつも別れた後に鬱へと落ちていく。躁じゃないと人とまともに関われない、という時点で終わっている。

 「違うんだよ/違うんです」で自分の立場を一つ所に決めることから逃げ続けてきた結果、私はどこにも居場所がなくなって、何にも楽しくなくなった。

 

 私は無価値です。