生まれたてのこじか日記

短期記憶がすぐ消える暇人の肉体から乖離して独立した“書き手”という非実在存在の備忘録 この内容が本当か嘘かは“書き手”自身にも分からない

加害者という立場を受け入れるには相応の強さが必要で、私はその強さがなかったために被害者側に立ち続けようとしていた

 自分のことしか考えてないなぁ、と思う。だからといって他に何か考えられるような、消化にいいコンテンツは私の周りにない。そもそも、新しいコンテンツにかじりつこうと思えない。新しい何かに挑戦して、失敗することを許容できる体力が全くない。

 

 嫌いになるのは、いつも決まって私と似た部分のある人間だった。そして好きな/なりたい人間は、いつだって自分なんかとは違う価値観で生きていた。

 私に似た人間の行動は、大抵の場合、裏が透けて見えて───自分に理解しやすい理由付けが出来てしまって───視界に入れたくなかった。

 好きになる人間を理解したいと思う気持ちと、常に好きになった人間と相反する価値観で動いてしまう機構とのクレバスに落っこちて、訳が分からなくなってきた。

 誰も自分を見なくなったなぁ、と思う。同時に、当然だ、とも思う。無関心というカテゴリーにぶち込まれるだけに足る無礼を私は働いてきて、それに並行してつまらない人間として在り続けたからだ。

 自分の考えること全てに先回りして批判する人格が、主人格と同じ容器に入っている。考えると同時に私は批判する。本来隠されている言い訳を、特権で覗き見て糾弾する。

 これを書いている今だって、現在進行形で「『自分はつまらない』と先に言っておくことで、自覚している、というスタンスをとることで、他人からの手加減なしの批判をかわそうとしているだけだろう」みたいな思考が湧いてくる。

 生きている価値はない、と自覚しておくことで、他人から「お前には本当に、冗談抜きに価値がない」と言われる時に備えていた。だけど、時間を無為に食い潰してようやく理解した。

私には価値がないのだ、つまらない人間なのだ、と(これもまた同時に予防線として機能させようとしている自分と、それを嫌悪する自分とがいる。)。