それは周期性をもった、

 呼吸が苦しくなって、吐き気がする程の体調不良。もうすっかりおなじみになってしまった、鬱期だ。

 

 服がよく乾きそうな快晴、油断すると汗ばみかける温度。半身の寒気が到来する兆しはない。

 金は入った。一時期の、口座に500円しか入っていない状況からは脱せた。

 発表された成績は悪くなかった。

 数少ない友人のひとりにだって会えた。色々と報告することも出来た。

 その上で、私は今また鬱期に入ってしまったのだ。

 

 思い当たる節は……まぁ、でっち上げればいくつかある。

 土踏まずが何度も何度も血塗れになって、立つことすら努力を要するようになったこと。全身を覆う皮膚から、異常な発汗をするようになったこと。色々と対策をとっても、これらを治すことは今のところ出来ていない。

 だけど何よりも───、未来のために生きる気力が、尽きてしまった。

 

 流石にもう、身体が治ることに希望を抱いていられる程楽天的では(意識したとしても)いられなくなったし、やりたいこともなくなった。

やりたいことが出来ても、すべて何かの(外的・内的問わず)要因によって完膚無きまでに叩きのめされてきた。この三年は特に。

何かをやりたくならないようにする回路が私の中で組み上がってしまったようで、もっともらしい理屈をこねないと何もやる気を起こせなくなった。

 ほとんどの行動の未来に失敗がちらつく。何をやっても駄目だという思考が漂う。

 

 ここからどんなに努力をしたって、なりたい人間にはなれない、という現実から目を背けきれなくなってきた。努力も気遣いも、意識すらも、このどん詰まった人生には何の影響も及ぼせない(及ぼせなかった)。

 

 自分に向けられた愛みたいなものを、はじめて感じた。少なくとも当時の私には、愛に見えた。

だけど自分は相手をひとりの人間として認識しきれなかった。自分から見た相手は恐怖と嫌悪の靄に覆われていた。これは今でも覆っている。私の精神病は、都合良く相手を視界から排除した。色々あった。

 結果、自分に対するこれ程の愛は以後現れる気がしなくなり、少し落ち込んでから意識的に元気になった。そして今、鬱期がそれを掘り出して、私を地面に押さえつけている。

 

 私は私で、ほかに最愛がいる。最愛は私をひとりの知人としか捉えてないだろうけど、私にとってはたしかに最愛だ。そいつのことを考えると苦しくなるくらい。

だけどもそんなそぶりをチラリとでも見せたら引かれてしまうだろうから、おずおずと遠回しに愛でるしかない。

 最愛にとっての自分を考えると、どうでもいい存在としか思えない。いつ切れてもおかしくない縁で繋がっているだけの。違う世界/層に生きていて、本来なら重ならないものがたまたま重なっただけ。

 そういうことを考えるくらいには心がやられていて、日光の中でまた性懲りもなく泣いている。

 

 これは一過性の鬱期で、その内楽しいことも悲しいことも、全部がどうでも良くなる凪がやってくることは知っている。伊達に数年鬱をやっていない。

だけども毎回鬱期にはこの世の終わりと思う程の憂鬱がやってきて、私からその時点で残っている生きる気力を根こそぎさらって行ってしまう。

それは今回も例外ではなく、張りぼて/茶番だと理解していてなお縋っていた希望が、やはり張りぼて/茶番でしかなくて。そんなものには縋れるだけの耐久性なんてなかったことを認識して、吐きたくても吐けない体調不良の波に呑まれているのだ。

 

 自分の中に少しだけ残った希望/意欲が、私に

「依存先を増やそうか」と囁く。簡単に言ってくれる。もはや私には連絡をとれる知人すらほとんどいないのに。

 とち狂って一瞬だけマッチングアプリとやらをやってみたこともあったけど、そのやりとりの段階で馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。

 趣味と呼べる趣味も、何かへ興味を向ける程の元気もなくなって、馬鹿馬鹿しくなって、自分の中の逆張り思考に笑われるのが目に見えて、依存できる娯楽はなくなった。

今やっている娯楽は全部、由来不明の義務感/焦燥感にかられてやむなくやっている気分がある。娯楽というより業務のようで、とてもじゃないけど手放しに依存できるものではない。

 どん底から脱け出せるような気がして、飲む酒の量を減らした。だけどそれで浮いた金を回すあてがない私にとって、その行為は虚無の時間を増やすだけのものだった。

 唯一の救いは、煙草が呼び起こす親の記憶から、煙草を吸う気が起きないことくらいか。

 

 

 鬱期。私に根付いた被害者意識がうるさくがなり立てる時期。同時に、加害者でもあるという意識が対抗してわめき出す時期。

 生きる意味なんてどこにもなくて、自分が勝手に見出すだけのものであることは充分理解したつもりだ。私にとって、生まれてしまったから生きている以外の意味はない。

 だけども自分の“価値”を考えると、生き続けるだけの価値/必要は私に無いんじゃないかと思う。鬱期だからか余計に、自分が何の価値も提供できない穀潰しであることを強く認識してしまう。

 いずれ終わると分かってはいても、やはりこの時期は無性に辛くなる。

 つらい時期だ。