ちょっと前進しましたよ、というだけの

 きっちり封をした部屋、一方的に流される情報の海の中で微睡んでいた。

 

 逃げ出してから半年くらい経って、私はようやく自我を手に入れた。

20年を無駄にした末に掴んだそれは、私にパラダイムシフトをもたらした。目玉が吹き飛ぶくらいの打撃が後頭部を襲った。

何もかもが分からなくなって、今までの全部が嘘みたいに思えて、久し振りに文字を読めるようになった。映画も、アニメも観られるようになった。孤独の楽しさに、負け惜しみではなく気が付いた。

 

 それはいいことなのだと思う。真実に辿り着けた、何かを楽しめるようになった、よかった、よかった。

 でも。やっぱり20年を無駄にしたことは心に重くのしかかってくるのだ。20年を短いと思えるまでには私はまだ成熟していない。これから20年かけて、無駄にした20年を取り戻していく作業のことを思うと、流石に嫌気が差す。

周りにいるのは、真っ当に20年を積み上げてきた人間だらけで、引け目を感じる。

 そのうえ、私は20年遅れただけではなく、嫌になるほどどっさりとデバフを積まれてしまった。

 ああもう、考えるだけで吐きそうだ。だけど考えない訳にはいかない。この身体は、勝手にそういうことを考えるように出来てしまっている。回る、回る。脳味噌が、遠心力で片寄ってしまうくらいの速度で回る。耳鳴りみたいな音がする。喉から腫れが洩れてくる。

 工夫すれば、生きることがこんなにも、負け惜しみ抜きに楽しめるだなんて今まで知らなかった。みんなやせ我慢をして、楽しいように振る舞っているのかと思った。そんなに楽しい訳がない、とも。

 工夫する方法は、戦術はわかった。

ただそれを活かすには、都合のいい地形と資源が必要なのだ。みんな当たり前にそれらを持っていて、当たり前にそれらを行使していた、というだけの話で。

 今の私にあるのは、前よりちょっと都合のいい地形だけで、ほかにはほとんど何にもない。だけど成功率が0%ではなくなった、というのはかなり大きいと思う。というかそういう風に思わないとやっていられない。

 

 嵐が来て、私に強い痺れと深い鬱を刻んで去っていった。起き上がるのもひと苦労。

でもその嵐は、私の命を奪うことまではしなかった。中途半端に嫌がらせをしていった。本当に嫌な奴だ。

 そういう訳で、私は今鬱の底にいるのだけれど、芽生えた自我を使って人生を歩めるのはこれから先しかないのだ、という強迫症めいた衝動も同居している。

 その二つを矛盾なく、分離させずにくっつけておくためには、やはり酒の力に頼るほかなく、喉の腫れが悪化するくらいの酒をあおった。

 

 結果として、喉は痛くて身体も痺れているけれど、ちょっとだけ生きてみようかな、と思う私が残された。

 貧乏性だから、せっかく手に入れたものを活用しないまま手放してしまうのはどうにももったいなく思ってしまう。だから、貧乏くさく、私は今回の収穫物を齧ることに決めた。