日記

 牛歩かってくらい進むのが遅い。

 

 やっぱり無駄にした20年ちょっとにまだ未練があるようで、うじうじと悩んでいる。

いつになったら私は大人になれるんだ、いつまで私はガキなんだ、と。周りはみんな大人になっていっているのに、それに比べて私は…と。

そりゃあ友人関係でも付き合って/合わせて“もらっている”感覚がつきまとってくる訳だ。対等に思える相手が、実は私のレベルまでわざわざ降りてきてくれている。気が合うと思った相手が、実は私に無理矢理合わせてくれている。

一度始まった思考は止められない。私は未だにおこさまで、周りはどんどん大人になっていく。この状況に納得のいく説明をどうにかこじつけないと、私の走り出した頭は止まらない。

思うに、一番身近にいた大人───つまり親だが───は、今関わっている同年代の知人たちよりずっと、ずうっとガキなのだ。やっぱり、物理的に距離を置いて正解だったと思う。しかし、当然、そんなガキに育てられた私はもっともっとがきんちょで、つまり私はどうしようもなく子供のままなのだ。

どうすれば大人になれるか、と、答えを探して地上を彷徨う生き霊と化した、子供。

 もちろん、わかりやすく一発でどうにかなる答えなんてどこにもなくて、だから私は未だにガキをやっていて。ああつまり、今私はどうしようもなく自己嫌悪に陥っていて、自分が恥ずかしくて、消えてしまいたくなっている。

 鬱の時に思考が止められなくなったら、それはもうおしまいということだ。思考はどんどん回り、加速し、容易く死の概念に追い付いた。他に何も取り得のない自分が、大人にすらなれないのなら、私に価値はないじゃないか。

 子供の癖に大人ぶって余裕ぶって、そうすることではじめて周りの人間と対等“っぽく”振る舞えるのだとしたら、そこには既に無理が生じているのではないか。

自分が対等でありたい人間は、自分がそう思うのも烏滸がましいような存在なのではなかろうか。

 私は、子供っぽい/大人らしくない行動を、それとは自覚せずにやってしまうような子供で、生きているのが恥ずかしくて、死にたくて、仕方がない。