世界はそんなに都合良くない

 実際のところ、前よりは良くなっているのだ。何もかも。

 

 その上で、私は絶望の濁流に呑み込まれただけの話で。

 前よりは何もかもが良くなっていて、前よりは未来に対する投資の利回りだって良くなっている。

だけど、それだけ。それだけだ。

 

 人生をこれ以上上向きにするために必要なリソースが、余地が、もう今の私にはなくって、つまりは「打つ手なし」という訳だ。

 

 想像しうる、ポジティブなルートの全てに黄色いテープが張り巡らされていて、その先に進めなくなっている。

曖昧なのが嫌いで、拒否反応を起こしてしまう体質から白黒はっきりつけてきた私の視界には、曖昧なままの可能性はどこにもない。

 どうせ駄目なら、その時になって駄目だと分かって絶望するよりは、あらかじめ駄目だと知って期待しないでいた方がダメージが少なくて済む。

 私は、想像しうる絶望を心臓がびっくりしないようにと先取りし続けたせいで、現在価値に翻訳した絶望を、他でもないこの今、まとめて背負う羽目になっている。

 勝手に期待して、勝手に裏切られたことで傷を負うことの責任からすら私は逃れようとしている。

だから、絶望をあらかじめ予想しておいて/はっきりさせておいて、期待しないことで、期待を裏切られて傷付かないようにしている。改めて考えると、ただの臆病者で小心者だなぁと自分でも思う。でも、ちっちゃい私の心臓は、とつぜん現れた絶望に耐えられない。

 じっさい、今まで目の前に現れた絶望たちのことごとくに私は敗れ去り、その度に心電図の揺れ幅は小さくなっていた。

 だから、そう、これは必要な措置なのだ。嫌いな物は先に食べておく。そうすれば、リスクを抑えられる。その代わり、今背負うものが重くなるけど、どのみち背負わなければならない絶望であることに変わりはないのだから、仕方がない。

 

 私は過去現在未来すべての絶望を、今観測して、今背負って、今絶望している。先送りせず、今認識している。生きるのが下手だというほかない。

 

 どうせ自分には持続可能な幸せを手に入れられるだけのスペックなどない。突発的に幸せが発生しても、私はそれを持続させられない。幸せに永遠はなく、次にいつ来るかも分からない。なんならもう来ないかもしれない。

 期待するだけ無駄だと思うくらいの試行回数を経て、手放しに期待しないようになった。だけど、もしかしたら、その根拠のない期待は希望だったのかもしれない、と、絶望にまみれた私は思うのだ。

もう素直に期待できなくなった今となっては手遅れで、もうどうしようもないけど、そう、思うのだ。

 そんなことにも気が付けなくて、気が付けなかったことで今を回避できなかった私にとっては、もうそれは希望にはなれず、絶望にしかならないけど。

 

 やることなすこと全部間違ってきた私は、きっとこれから先もすべて間違えるのだろう、と。そのことが情けなくて、どうにも、悲しい。