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「結局、虚無やん?て」

師匠の言葉を聞いたからかもしれない。だけど私も前々から、そんな風に思っていたような気がする。

 

 歳を重ねてくる中で色んなことを学んだ。言語化できること、できないこと。形のあるもの、ないもの。

掘れば掘るほど拡張していく未到達領域を目にして思った、あれ?これって、終わり、なくない?と。

ふう、と、一息つける場所なんて、どこにもないんじゃない?と。

 あれ?意味、なくない?

 

 キャッシュレスの波に押されつつある現金。形のある貨幣。価値の代弁者。私はそれをくしゃっと掴んで(あるいは画面に映し出して)ほかの価値と交換する。

 うん。だけど、交換したものにさえ価値/意味なんてなくない?

 

 何のために生きなきゃいけないのだろう、と。

私でないと出来ないこと、なんてのはどこにもない。私がいなくてもその穴は勝手に埋まるだろう。私の換えはいるらしい。上司から聞いた。

 世界にいるもう二人の私。残機。

 なら、私すらもいなくてよくない?

 

 社会の布にくるまれて、口が利けなくなりそうだ。

社会に蔓延するニュースピークたち。何も言ってない笑顔たち。

そこには何にも意味などなくて。みんな意味を生じさせないようにしているようにすら思う。意味の擦り付けあい。無意味の強要。意味恐怖症。

 社会性とは、言葉を減らす能力なのだと気が付いた。

言葉を尽くせと誰かが言った。だけどそれは、自分の不理解を相手の言葉が足りないせいにしたいだけのことだった。

みんな言葉なんて使いたくないように思える。言葉を使うと目を付けられる、とでも言わんばかりに。誰の目を気にしてるのかは私には分からないけれど。

 

 日々が虚無の内に過ぎていく。やりたかったことすら虚無の穴に落ちていって、もうじき見えなくなりそうだ。

人の役に立つ?それこそ意味がない。人の役に立っている感覚すらない。意味も実感もないのなら、何もないのと同じじゃない?

 

 社会。私にとって、おままごとと同じくらいの意味と重みしかないことば。茶番、茶番、茶番!どこへ行っても茶番ばかり。意味のない行為!品のない音!音!音!

 

 疑心暗鬼が蔓延している。誰も彼もが被害者面で、罪無き誰かを糾弾する。あるいはスーツに寄せ書きをして、生贄を捧げるようなことをする。

 みんながみんな、「(少なくとも)自分のせいじゃない」と叫んでいた。

陰謀論に踊らされる人々。自分の発言に責任を持たない人々───ハナから持てないのかも知れないけれど。

 

「立派な仕事やん」

でもほら、結局意味なんてなくないですか?

「まあ結局、」

はい。

「虚無やん?て」